半年に一度の屋上の音楽会のスピンオフイベント、秋の観劇会。この秋も行ってきたのでレビューします。
★もくじ★
屋上の音楽会とは?
メデイヤとは??
今回は紀元前のギリシャのお話でした。
女王メデイヤという名前も同作であるようです
。
劇作家エウリピデス作のギリシア悲劇として有名のようです。
あらすじ
コルキスの王女メディアは夫イアソンと共に互いの故郷を捨てコリントスで暮らしていた。
だが、コリントス王クレオンが自分の娘婿にイアソンを望み、権力と財産に惹かれたイアソンは妻と子どもたちを捨て、この縁組みを承諾する。
怒りと悲しみに暮れるメディアの元に、クレオンから国外追放の命令が出る。
一日の猶予をもらったメディアはイアソンとクレオン父娘への復讐を決意する。
アテナイ王アイゲウスを口説き落として追放後の擁護を約束させたメディアは、猛毒を仕込んだ贈り物をクレオンの娘の元に届けさせ、王と王女を殺害する。
更には苦悩と逡巡の果てに、自身の幼い息子二人をも手にかける。
すべてを失って嘆き悲しむイアソンを尻目に、メディアは息子たちの死体を抱き、竜車に乗って去っていく。(ウィキペディアより)
引用終わり。
わかりますか?この悲壮感
このウィキペディアを読んだだけでも伝わる悲劇な感じが。
今回の演出としては、
ニトリかIKEAで揃えたの?
ってくらい最新の家具が舞台セットなんですよ。
途中子供達はNintendoのゲーム機でマリオカートしてますからね。
いつものお芝居では必要最低限のセットしかない清流劇場さんにしては珍しい演出だと言えます。
この話は2500年前の話ですが、
おそらく、このお芝居のメデイヤを
昔話に出てくる悪女みたいに遠い話ではなく、
どこにでもいる1人の女性として描きたかったのでは無いかと。
それも昔話ではなく現代の私達にも通じる人間として描きたかったのかな。
と私は考えました。
ミソジニー?
主人公メデイヤは自分が女性であることや、その女性が社会的に弱い立場であることを何度も訴えかけるシーンがとても印象的です。
2500年前であっても
ギリシャであっても
現代でも、
日本でも
夫婦はそんなに変わってないんだな~と、観てる人は感じたかもしれません。
女性の権利を主張する側面を持ち合わせる一方で、話的には不幸な結末を迎えるあたり、ミゾジニーといって女性性の否定であるように受け止められる側面もこの話にはあるようです。
暗喩的なミゾジニーである可能性は
否定できません。
↓詳しくは↓
ミソジニー (英: misogyny) とは、女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視の事である。女性嫌悪(じょせいけんお)[1]、女性蔑視(じょせいべっし)などともいう。ギリシア語の μῖσος mîsos (嫌悪、憎しみ)と γυνή gunḗ(女性)から由来し、女性、女性らしさを嫌悪する人物をミソジニスト(misogynist)と呼ぶ。(wikipediaより)
メデイヤの最大のテーマは
夫に対する復讐心であると言えます。
その象徴的な行動が、
「自らの子供を殺す」です。
一番のセンセーショナルな筋書きです。
メデイヤも葛藤の中、自らの子供達に手をかけます。
「どれだけ酷い事をしようとしているか、流石の私でも知っている!」
悲痛な叫びが劇場内の空気と見ている観客の心を、引き裂き貫きます。
泣いている観客の方もいらっしゃいました。
本当にやるの?
辞めてくれよ!
と私は心から思いましたが、メデイヤを脚本を変える力は観客の私にはありません。
子供達に手をかけて、絶望する元夫に復讐遂げたメデイヤは次の住む所へ移動するシーンで終わります。
唯一の救いは・・・
仙ちゃんの救いのようなピアノと(キャロルキングのナチュラルウォーマンでした)
カーテンコールの拍手の音が、
メデイヤがお芝居だったことを思い出させ、私達は現実の世界へ連れ戻してくれました。
それくらいに引き込まれる内容であり、
衝撃的な結末でした。
清流劇場さんなかなか
重い話が続いてます。
家に残してきた、奥さんや子供が無性に心配になりましたが、
このモヤモヤした気持ちを観劇した仲間とお酒で紛らわせました。