以前書いた記事に、釈迦が悟った、悟りをめちゃシンプルに言うと、
縁起という考え方とお伝えしました。
その流れで唯識(ゆいしき)も書きたかったので書いてみます^ ^
できるだけシンプルに誰にでもわかるように。
唯識とは今から1600年前〜1700年前に生まれた世界の捉え方の一つです。
余談ですが、西遊記の三蔵法師はこの唯識をインドから中国へ伝えた人らしいですよ^ ^
ざっくり言うと、
ヒト、モノ、コト全てが存在してるんじゃなくて、それを感じる心があって、それらは存在してる!
って考え方です。
例えば、スマホとかパソコンとかありますね。
あなたか、誰かが
あっパソコンある!
あっスマホだっ!
と視覚で認知して、
触覚で認知して、
意識的に操作して、
パソコンとか、スマホがあるとした時。
唯識では
操作されたパソコンもスマホも
操作した人間でさえも、
実体はなくて、
あるのは
視覚の認知と、
触覚の認知と、
それらの意識
だけ。
みたいな感じです。
意味わかります?(笑)
なんか、我を思う故に我ありの
デカントの哲学に似てるなぁと思います。
唯識では、織は8つから構成されてるとします。
まず、五感ですね。
嗅覚、聴覚、味覚、触覚、視覚。
そして、意識 。
自覚できる範囲の意識のことです。
これで6つで、
あとの2つは
無意識が二種類。
まず、末那識(まなしき)
これは潜在意識と考えた方がわかりやすい。
そして、阿頼耶識(あらやしき)
が世界を形成してる全てを生み出していると考えられてまず。
ユングの集合的無意識みたいな感じ。
人々が生きる世界はこの阿頼耶識が生み出したモノをそれぞれが認識してるだけだよってのが唯識の考え方なんですね。
これは大乗仏教における、空の思想に近いですが、心の作用を持たせている点に於いては、異なります。
それを最近の心理学や物理学が理論的に唯識に近いことを証明しようとしている様です
それが超情報場仮説です。
それはまた明日書きます^ ^