遅めの昼食にがっついた皆のテンションは
かなりまったりしていて、眠い感じだった。
でも、ここからがこの旅のメインコンテンツ
知覧特攻平和記念館への訪問である。
記念館の中は撮影禁止なので、
外側にあった展示物しか写真が無いので
ご了承願いたい。
知覧特攻平和記念館は、
第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示する施設。知覧特攻平和会館が建てられている場所とその周辺は、知覧平和公園として整備されている。
(ウィキペディアより)
初めは優勢であった戦争における立ち位置が、時間の経過と共に劣勢に変わり、物資が少なくなっていき、効率を考えた時に取らざるを得ない戦略として、特攻が生まれて特攻隊が召集される訳です。
特攻とは、250キロ爆弾を積んだ飛行機に
自ら突っ込んでいき体当たりする作戦。
メリットとしては、人間が操作しているので、
目標に向けての命中率が高いことが挙げられます。
乗っているパイロット自ら体当たりします。
それはつまり、必死。必ず死にます。
特攻隊のメンバーは若くは17歳〜30歳までの若い人で構成されていました。
まだ高校生くらいの若い人から、家族を持った人まで。まだまだ将来や未来があったであろう年齢です。
天皇万歳、御国のために、敵を仕留めます。
という大義と、親を心配させないようにと
書かれた、手紙のやり取りや遺書や遺品が
記念館には展示されており。
見ていて涙しか出ません。
自分の子供が死んで欲しいと本気で思う親などいるでしょうか。
だからといって、生きて帰ってきて欲しいと書けない親の辛さが手紙のやり取りの文脈の中から読み取れます。
「寒くはないですか?」
「お身体は大丈夫ですか?」
と健気に遠く離れている子供を気遣う、
母親の手紙は切ないですよ。
それに対して、子供は(まだ10代そこらの)
「立派に御国のために役に立ちますから、
心配しないで下さい。」
と、凛々しく返事をしているんです。
なんなんですか、このやり取り。
涙しか出ないんですけど。
展示物の観覧と、映像による遺書の紹介や、語りによる説明など、本当に心に突き刺さる内容ばかりでハンカチ無くて会場には居られませんでした。
そして、そんな特攻隊の皆さんが、命をかけてまで守りたかったのは、
今私達が生きるこの平和な日本なんだという思いに至り、
みんなで御線香をあげさせていただきました。
その時の写真なんですが、
夕日が反射してこちら側を暖かく照らしてくれており、
「俺たちが守った、今を一生懸命に生きくれよ」
という暖かいメッセージを受け取る事ができたように感じました。