昨日、上の坊やが
「今日な、紫金山(近くの小高い山)行ってな、ドングリ拾ってきたねん」と薄いビニール袋に入ったドングリを見せてくれました。
いっぱい拾ったね〜
と、食事作ってたので片手間に返していました。
すると
リビングのフロアに円形に並べて遊んでいたのですが、
下の坊やに、そのサークルは無残に潰されました(笑)
上の坊や泣いてましたけど、
部屋中に散らばったドングリ達。
もー片付けやー(怒)
と注意して渋々片づけて、
元のビニール袋にいれてました、
泣きながら(笑)
もう、ドングリ捨てていい!
と言ってましたが、
折角拾ってきたんやから、
大事にしいや。
と、言い、
昨晩のその時はあんまり考えてませんでした。
改めてよく考えてみると
上の坊やは5歳になるのですが、
多分、持って帰ってきたものの
大切にする方法がわからない
のだと思いました^_^;
今朝、家を出るとき
家族が寝静まったリビングに置かれたそのドングリinビニールをみて、そんな風に思いました。
大切にする方法がわからない。
形あるもの、無い物。
欲しくて、欲しくて、
手に入れてみて、
いざ手にしてみたけど、
それを大切にする方法がわからない。
だから、本意ではなくとも
手放したり、
壊してしまったり、
捨ててしまったり、
手に入れる前以上に、その対象の事を考えられなくなるのですね。
そんなことって、大人でもあるよなぁ〜と思いました。
例えば
親から、社長から、師匠から、先生から、上司から、世間から
大切にしなさい!
と言われて、
はい、大切にします!
と言ったところで、それは本質的に大切にしてることにならないでしょう、多分。
大切にすることの難しさは
1+1=2みたいな公式が無くって、
人それぞれの方法があるから、
難しいんだと思います。
そして、答えは自分の中にしかない。
では、どうしたらいいのかなぁ?って考えてたら、
大切にする方法を自分で色々考えて、やってみる。
じゃないかな?と思いました^ ^
大切にしている証拠として、
自分の中で感情が出てきたら、
深く関与できてる証拠だと思います^_^
どれだけ、笑ったか?
どれだけ、楽しんだか?そして
どれだけ、悲しんだか?
それを失ったら、どれだけ辛いか?
色々な感情と共に、その大切にする対象と過ごせたなら、それは
多分大切にしているってことじゃないかなと思いました^_^
そして、何かを大切にして、守る事は成長して、大人になることなのかなと考えました。
大切にしたいものと、時間と感情を共にして、心は磨かれていくのですね(^○^)
ドングリに対する礼節ってなんだろう?
で、ここまで話広げちゃいました(笑)
学びは、ドングリみたいに無作為の形をして、その辺りに転がってますね。
早速、今晩ダンボールで
ドングリパチンコでも作ろうかなと思うので、
ドングリ 遊び方
とかで調べてみます(^○^)