もし鏡が二つあって、そのどちらかが
自分を、より良く写してくれる鏡があるとしたら
どちらの前に立ちたいだろうか?
ジムの鏡の前に立つといつも、そんな事を考える。
私は自分の容姿についてさほど自信がある方ではないが、ジムの洗面台の鏡については
光の当て方などが研究されているのか、
とても良く写してくれている気がする。
そして、それは意図されてそうなっている気がする(別に確認までしないけど)
話を戻すと、
その鏡の前に立った時、次に鏡が私に伝えてくるメッセージがある。
あなたも人を綺麗に写せてますか?
と矢継ぎ早に問いかけてくる。
人と会わない日は無い。
家族とも。職場とも、
対面であっても。
そしてこうしたネット上の人たちとの心の触れ合いであっても。
私と接してもらった人達を自分は綺麗に写せているのだろうか?
人間は関係性の中で、『その人』となり得る。
そう言った意味で、私達は互いを鏡とし
その反射にて自分を確認しあってるとすれば、
私達の中の鏡が曇っていたりすれば、
知らず知らずに相手は曇っている姿を
私という鏡の中から確認して、
もう私の前に立ちたいとは
思わなくなると思う。
美しく生きたいと願う。
それは自分の中の鏡台を磨く事であって、
そして、私の前に立ってもらった人を
「私ってこんなに素晴らしいんだ」と
思ってもらえるような心の中の鏡を
持ち続けたい。
そんな思いで日々を丁寧に暮らしていきたい。
愛する人たちと。
それが私に鏡が伝えてくる事。