おはようございます、
今日から三連休。子どもの誕生日もあって、色々ゆっくりさせてもらう週末になりそうです。
さて、日頃の思いを振り返る機会にしたいので、文章を書いていきます。
今ウクライナとロシアの侵略戦争で世界の安心やこれまでの常識が揺れていると思うのですが、偶然にもこの戦争の始まる前にくらいに、読んでた本が教育勅語についての本でした。
めちゃくちゃ当たり前の話なんですが、教育勅語を作った人とというのがいて、
井上毅(いのうえこわし)さんという方なんですが、
ひょんな事からこの方に興味も持った事から、この本を読もうと思ったんです。この人めちゃくちゃ才能に溢れる方でして。
教育勅語が作られたのは1890年、明治23年で、明治維新が1868年として、その22年後に制定されたということになります。
その22年間はどうだったのかというか明治維新で鎖国が解かれどんどん新しい文化が入ってきて、
西洋の文化が非常に庶民に大ウケしてて
日本語よりも英語を公用語にしよう
とまで、西洋熱は盛り上がったようです。
これは日本人が日本人たらしめる柱みたいなものを作らないとダメだ!と明治天皇は
感じて、官僚に作らせる訳なんですけど、
なかなか上手くいかない。(原型を箴言(しんげん)といいます)
天皇は神だ!従え!とか逆にキリスト教に偏った内容のものばかりが官僚から提出されるのですが、教育勅語プロジェクト(勝手に命名)の審議委員の1人の井上毅さんが、
なんかちゃうねんなぁ、とモヤモヤしてて。
実は井上毅さんはその時は大日本帝国憲法作成プロジェクトに本腰を入れてたので、
教育勅語には手が回っていなかったようなんですね。
しかし、あまりにも良いのができないので、
しゃーないな俺がやるわ。と本腰入れて取り組まれてできたのが教育勅語でした。
まず井上毅さんが作成にあたり取り組まれたのが、日本の歴史の研究。特に初代天皇からどのようにして主従関係で国をまとめてきたのか?という事。
そこで、
たどり着いた答えが『治す(しらす)』という概念。
これは国が武力や権力で民を統治するのではなく、国を家、民を家族として、
みんなで豊かになっていくように天皇は祈り続けるよ。
という天皇の徳によって、国と民を治める統治法でした。
これに感銘を受けた井上毅は
教育勅語のコンセプトとして
・政治事ではなく
・宗教的ではなく
・哲学的でもなく
・プロパガンダを入れず
・海外の思想を取り入れず
・消極的な言葉を使わず
・宗派の争いを助長させず
と、教育勅語をデザインしていく訳です。
君主の言葉なんだけど、押しつけるような事はせずに、真摯に日本のことを考えて作られたのが教育勅語だった訳ですね。
ここから、日本は日本人らしさの精神的な柱を得て、国として発展していく訳なのですが、
1945年の敗戦後、教育基本法が出来たときに教育勅語は廃止されてしまいます。
教科書から消えたのですね。
そしてそこから77年後が現在の2022年です。今『平和』って言葉が揺るいでる今。
もう一度、国の形みたいなものを、
コミュニティの在り方をもう一度
考えるタイミングにあるのかな。
この本を通じて
教育勅語が
歴史から見て『良い』とか『悪い』とかの二元論ではなく、
リデザイン始めなきゃまずい。のフェーズ
にとっくに入ってると思うのですね。
歴史から学べる事沢山ありますよね。
こんな情勢で
色んなことを沢山考えてしまうと思うのですが、知るべき事を知り、冷静に判断して行動していきたいですね。
日本の未来の事を真剣に考えて作られたとある官僚の仕事を紹介させてもらいました。
良い本でした。