ハッピーエンドな旅の途中で。

生きてる事は旅すること。旅とは移動の有無ではなく、生きるスタンスそのもの。

【仏教】煩悩との付き合い方 左右極限を知らねば、中道に入れず。

 

今日は煩悩との付き合い方です。

 

煩悩って?

 

わかりやすくいうと、欲望みたいなものです。
食欲、睡眠欲、性欲、支配欲、独占欲‥
いっぱいありますね。


そう、108個あるようです^_^;
除夜の鐘の数で有名ですね。

 

そんだけあったら、

絶対2〜3個くらいかぶってる煩悩あるやろ?と思うの自分だけですか?(笑)

 

一般的には煩悩こそが、人生を苦しめてるから、煩悩を無くそうとか、
消そうとか、否定するアプローチが主流です。

 

瞑想したり、苦行したり、我慢したりするフィジカルな行動で。

でも、ブッダは煩悩を否定してないそうです。

 

ブッダは、煩悩を否定して、無くすんじゃなくて、

 

満たせと。

 

それも、どんどん、とことん満たせと。

 

中途半端にやるんじゃなくて、とことんです。

 

要は飽きるまでやり尽くして、


飽きたら自然にやりたくなくなるでしょ?

 

ってニュアンスだと思います。

 

そして、ここからが面白いんですが、

 

煩悩を満たすまでやってから、

 

正反対のことも、飽きるまでやりなさいと。

 

例えると、食べる事が大好きな人が、体重とか気にしながら中途半端に食べるんじゃなくて、

飽きるまで食べまくりなさいと。

 

そして、飽きるまで食べたら、

 

食べない方法も、反対の道かもしれないし、

 

料理を作る方法も、反対の道かもしれないし、

 

人に食を素晴らしさを、伝える事も、反対の道かもしれない。

 

そうして、それらも飽きるほどやって初めて出来る、ものの見方。

それが中道(ちゅうどう)なんですね。

 

食べてもokだし、
食べなくてもok!

 

それを左右極限を知らねば、中道に入れず。

 

だと思います。

 

煩悩、欲望は抑えると、
歪みとなって、どっかで出ます。

 

心理学では、抑圧ですね。

 

恨みたかったら、とことん恨めばいいも思います、

悲しかったら、とことん悲しめばいい。

 

感情って、感じきったら、無くなります。

まさに空です。

 

あるとも、ないとも言えないけど、
そこに感じる心だけは実体としてあるが、それも永遠ではない。

 

感じきったとして

そこに留まるのではなくて、

恨みきったら、こんどは傷ついてもいいから、人をとことん愛する。

 

悲しみを感じきったら、
楽しいことを追求する。

 

そうして、初めて中道に入っていきます。

 

左右極限を知らねば、中道に入れず。


ですね^_^

 

だから、今、あなたがやりたい事とか、

 

やりたいけどちょっとね〜


とブレーキをかけてるものは、

 

多分、全部正解です。

 

やった方がいい。

 

気が済むまでやったほうがいい。

 

そして、是非、正反対のことも考えててくださいね^_^

 

もしかしたら、
あなたのやりたいことは、

 

今までやってきたことの反動である場合も多いですけどね。

 

まるで、反動形成。

 

一説によると、煩悩とは、無明(むみょう)のことみたいですね。

 

無明のことをブッダは、

苦しみの根本的原因としました。

 

無明とは、無知の事です。

 

知らないってことです。


知らなくてもいいけど、
知ろうとしないスタンスの事だと思います。

 

無知の知。

 

知ることから、全ては始まるんですね。

 

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